2012 10/07 東村山市秋津町氷川神社

★ 10/07(日) 18:00-21:00 東村山市秋津町氷川神社 東村山市秋津町4-13-1

18:00-21:30とのことだが18:00-21:00だった。
途中40分ぐらい囃子で中断。中断中、寒くてもう我慢の限界だカゼひく、もう帰ろう、と思ったところで再開。来年はもういいw
東村山音頭、多摩湖小唄、東京音頭、大東京音頭、炭坑節、八木節 (手拭い)

秋津駅から歩いて20分ぐらいだが、途中の空き地でお祭り関係者が酒盛りをしていた。えげつない悪口で盛り上がっていたw こういうのをビデオで録画、録音しておけば民俗学的に貴重な資料になると思うけど、無理だよね~www

秋津町の氷川神社の例大祭
>午後8時から8時30分の間、氷川神社境内にとめた山車と舞台の上で重松流(じゅうまりゅう)のお囃子(市指定技芸無形文化財)の奉納があります。お囃子をになうのは秋津町はやし連です。

私は東京の人間で、昔から不思議だったのが、
神社の祭りの舞台で、
・踊りを上手に踊る人
・楽器を上手に演奏する人
がいて、
彼らはどこから来るの?
彼らは踊りのプロなのか?
普段はどんなことをして生計を立てているのだろう?
と疑問に思っていました。
今回その疑問が解けました。
たぶん、こうです。
江戸時代までの農村では、
すべてが自給自足、芸能も自給自足、芸能人も自給自足です。
なので、
1、子供会等で半強制的に踊り、楽器演奏をやらせる
2、だいたいの子は離れていくけど、踊りが好きになってしまう人がいる
3、そういう人が、趣味として芸をみがき大人になり、お祭りで踊る
4、3、の人が先生になり、自分の村の子供に教える→1、に戻る
という、農村における芸能のループがあるわけです。
郡上で笛や太鼓をたたく人もそうだと思う。たぶんw

で、
東京の神社は、東京が農村ではなくなったにもかかわらず、昔の農村の神社が持っていた形を維持しようとするわけです。上の1~4でいえば、3だけでも維持しようとする。
つまるところ、1~4のループが存在しない地区の神社は、踊れる人、楽器演奏が出来る人を、お金で呼ぶのでしょうか?
ご存じの方がいたら教えて下さい。

お金で呼ぶ、呼ばない、どちらにしても、1~4のループが存在しないのに、東京の神社は3だけは実現しようとする。
なぜ?
神社は虚業だからです。売り物はイメージだけだから。
売り物がイメージだけだから、昔の形(農村時代の神社の形)を維持しようと必死になるのです。
ちがうかな?

2012 10/07 東村山市秋津町氷川神社” への2件のコメント

  1. この文章を読んでいると、踊りやお囃子の演奏の伝承は
    この通りと思われます。
    というのも江古田の氷川神社の例大祭の獅子舞がその通りに
    伝承されています。
    ・始まったのは鎌倉時代くらいから。実際は良く分からない。
    ・徳川家光が獅子舞を観た記録あり。
    ・お囃子の楽譜なども一切なし。
    ・全て先人から次の世代へと口伝えで伝承。
    ・地元の小学生が練習会に参加している
    こんなことが今でも東京で行われているのです。
    いつも感じるのは素朴な農村芸能、これからも続きますように。

  2. おお、ボンボンさんレスありがとうございます。
    前にダイエット散歩であの辺を歩いた事があるのですが、
    たしかに、江古田の氷川神社近辺は今でも田舎田舎した感じがありますね。

    つか、地図で見ると、今の、国立療養所跡地、江古田合同住宅、慈生会病院、の3つがあわせって氷川神社の鎮守の森だったのかも知れません。

    あと、妄想すると、我々の近辺では、板橋の徳丸地区に、ヘビーな農村文化が残っているかも。

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